ゼロ・クリア ─還無─ 第1章[1]
作:のりゆき





 サテスワール帝国領、ゼディス州。
 旧大陸の東の果てに、弓のように南北に長く延びた領土を持つこの州は、以前は「ゼディス共和国」と呼ばれ、極東の独立国として自治を保っていた。
 当時、この国は鉄鉱石から銀、果ては希少金属である「ブルーメタル」まで、様々な鉱物を産し、鉱業国として世界的に有名であった。
 その豊富な鉱物資源を狙い、サテスワール帝国がゼディスに侵攻を開始したのは、5年前の事である。
 ゼディスの兵士達もよく戦ったが、豊潤な兵力を持つ南海の覇者には勝てようはずもなく、首都ゼディス市は陥落。ゼディスは帝国の一州として植民地化される事となった。
 そして…。




第一章:ゼディス


1.

 ──浅せぇ!
 カディツァークは舌打ちした。
 剣が翻る。手応えはあった…が、恐らく敵に致命的なダメージは与えられていまい。
 返り血が、彼の頭から肩にかけてベットリと浴びせかけられる。場なれた人間だけに動じることはないが、その返り血は凄まじい悪臭を放っていた。
 明らかに、人間のものではない。
 「グォオオオ!」
 闇の奥から叫び声があがった。
 ゼディスの主要産業は鉱業である。帝国領となった今でも各地から鉱物が採掘され、帝国本土や世界各地へと運ばれていた。
 州都であるゼディス市の近くにも、ゼディス州で最も古い大規模な鉄鉱山の跡地がある。
 その鉱山に集まる人々が作った町が、現在のゼディス市に発展するわけだが、何しろ数百年の歴史を持つ鉱山町である。工事などの折りに昔の坑道にぶつかる事も多かった。
 そういった鉱山遺跡は、ほとんどが地下街や下水道などに転用されているが、いきなり道路が陥没して古い坑道が現れる。というような事は今でも珍しくない。
 ゼディス市の地下には、まだ知られていない坑道が無数に張り巡らされているはずであった。


 カディツァークがいるのも、そういった過去の坑道を使った下水道の一つであった。
 首から提げたハロゲンライトの光が、彼の姿を闇の中に浮かび上がらせる。
 鋭い目とボサボサの銀髪…。その姿は、ゼディス特有の鳥「ギンハヤブサ」(銀隼)を思い出させた。
 そして、彼の目の前に立つもう一つの影…。それは、獅子の顔に鷲の足と翼を持ち、サソリの尾を持つ異形の魔人であった!
 「オノレェ!貴様、コノ魔王『ぱずず』ヲォ!!」
 魔人が、苦しげな声で呻いた。
 熱風と病魔を自在に操り、風の中に君臨する魔王パズズ。魔物の中でもかなりの上玉といえる。
 だが、今目の前にいるパズズは、魔王というイメージとはほど遠かった。
 カディツァークの剣によって受けた傷をかばい、震えながら身をかがめている。魔王の右腕は、肩から先が完全に失われて、その傷口からは滝のように血が流れ落ちていた。
 ──子供を喰い殺したとは聞いていたが、パズズとはな…。こんなドナーまで持ち込んでやがるのか、帝国は!
 カディツァークが、心の中で罵った。


 「ドナー」とは、臓器移植などの場合に使われる言葉である。臓器の提供者がドナーであり、受領者が「レシピエント」と呼ばれる。
 だが、この場合のドナーとは、「魔術的な力の提供者」と考えれば問題ない。神仏や天使、悪魔などの事である。
 それらのドナーは聖域など様々な場所に宿っているが、ドナーの力を体に受け、それを使う者が「レシピエント」である。
 ドナーの霊力を封じ込め、必要な時だけ解放することのできる「DSS」という装置が開発されたため、レシピエントになるのは以前から比べると簡単になった。
 そのレシピエントの能力を最大限に活用したのがサテスワール軍である。
 「DSS」が開発された直後、帝国軍はどの国にも無かった「レシピエントのみの部隊」を構成。拠点攻略のための特殊部隊として戦場に投入した。
 彼らレシピエント部隊はめざましい功績をあげ、後にDSSを一般兵にも適用した帝国は、その実力をして世界一の陸軍国と目されるようになった。
 しかし、サテスワール帝国以外の国では、レシピエントを部分的に用いてはいるものの、レシピエントのみの部隊というものは存在しない。
 下等な使い魔なら別だが、強力なドナーは扱いが非常に困難だからである。
 それは、サテスワールの軍人がドナーの扱いに慣れていようとも例外ではなく、天部や悪魔に分類される凶暴なドナーは、逆に帝国兵士を喰い殺してその支配を破ることもあった。
 その結果、サテスワールではドナー対策が大きな社会問題となっていた。逃げ出したドナーが市民が襲うのである。
 帝国軍上層部はその対策を求められ、レシピエントとなる兵士の力量に一定の基準を設けた。無謀なドナーの使用を防止し、被害を最小限に押さえるためであった。
 多数の帝国軍人が進駐しているゼディスでも、その軍規が遵守され、今まで大きな事件は起きていなかった。しかし…。


 ──いつまでも、そんなお約束が守られるはずが無い。
 カディツァークを含め、ゼディスの住民は皆そう思っていた。
 何しろサテスワールは、レシピエントを用いることで世界一の陸軍国となった国である。帝国の軍人にとって、強力なドナーを得る事は栄達への第一歩であった。
 そのためサテスワールの軍人達は、良い参考書を求めて本屋を巡る学生のように、より強いドナーを収集する事に熱中していた。
 彼らに権力に対する欲望がある限り、いくら規制したとしてもその収集熱が下がる事はあるまい。そして何人かのバカが、自分の力量を見誤って、強力なドナーを従えようとし…。
 ──喰い殺されてジ・エンド。百鬼夜行の再来って訳だ。
 現につい最近、ドナーの仕業を思わせる事件が起きていた。
 子供が一人、八つ裂きにされていたという。腹を割かれ、体中の血液を抜き取られるという目も当てられない状態だったらしい。
 当然、帝国の兵が逃がした「ドナー」の仕業なのではないかという噂が立ったが、マスコミが帝国の官憲を気にして大きく取り上げる事がなかったため、その事件はうやむやのうちに闇に消えようとしていた。
 その子供が殺されていたその場所が…カディツァークのいる下水道の真上だったのである。
 ──今の所ガキ一人で済んでるが、冗談じゃねェ。こんなのが我が物顔で闊歩するようになったら、ゼディスが滅ぶ!
 カディツァークは、今しがた魔王の血を吸った佩刀を、ゆっくりと身近に引き寄せた。
 …その剣!
 カディツァークの持つ剣は、鬼火のように青銀色に輝いていた!
 魔王は、闇の中で青く光るその剣を見つめ、脂汗を流した。一瞬にして魔王の右腕を削いだその剣は、あまりにも危険な武器であった!
 「ン、グォォォ!」
 誇りを取り戻そうとするかのように、魔王は雄叫びをあげると、背中の翼を羽ばたかせ、襲いかかってきた。
 だが、カディツァークは何ら臆する事なく精神を統一し、真言を唱えた。ボサボサの銀髪が逆立つ!
 「オン、マケイシバラヤ、ソワカ!」
 次の瞬間、真言がキィワードとなり、ドナーの霊力が解放された。
 ギュイイイン!という鋭いモーター音とともに、彼の右袖に装着されたDSSのランプが輝いた!
 「ハァ!」
 裂帛の気合いとともに、カディツァークは剣を水平に薙いだ。
 『グォオオオ!』
 断末魔の叫び声があがった。
 解放された力は風の刃を呼び、空を切ってパズズの臓腑を深々とえぐった。鮮血が辺りにが飛び散る!
 魔王は空をつかみ、苦しげに藻掻きながら、ゆっくりと床に倒れ伏した。躯が流れに落ち、汚水が音を立てて水柱をあげた。
 「うぐぅ!」
 飛び散った汚水が、カディツァークの頬や頭に降り注いだ。彼は口に手を当て、何とか吐き気を抑えた。
 その時、流れの中から、ちょうど人魂のような薄明るい光の玉がふわりと浮かび上がった。パズズの死体が、エネルギー体に変化したのである。
 エネルギー体は、地上を目指してふわふわと力無く飛びはじめた。
 「おっと!」
 カディツァークは頭を振ると、慌ててDSSのスイッチを押した。ランプがチカチカと明滅し、エネルギー体がDSSに吸い込まれてゆく。
 これが、ドナー収集の常套手段であった。自分のドナーより弱いドナーを倒し、その霊力をDSSに取り込む…。
 そして、DSSに封じ込められたドナーはその霊力を喰らい、さらに強力な力を得るのである。
 パズズの魂とも言うべきエネルギー体がDSSに吸い込まれると、カディツァークは軽くうなずいた。自分の体に、今まで以上の力がみなぎるのが解った。
 「…しかし、どうするか、これ…」
 カディツァークは、自分の身体をぐるりと見渡しながら言った。
 飛び散った汚水とパズズの血とが、ちょうど牛の模様のように彼の服を所々まだらに染めている。
 下水道の悪臭で彼の嗅覚は既に麻痺してしまい、何の臭いも感じなくなっていたが、外に出たらえらい臭いに違いない。
 「帰って、風呂に入ろう…」
 カディツァークは、しみじみとつぶやいた。


 続く