ゼロ・クリア ─還無─ 第1章[2]
作:のりゆき





2.

 「ラーメン一丁、お待ち!」
 オヤジのそんな声と共に、カディツァークの目の前にドンブリが運ばれてきた。
 もうもうとあがる白い湯気が、彼の銀縁メガネのレンズを曇らせる。
 ゼディス市は北方の都市である。
 今年の冬も、雪こそ降らないものの、寒さは例年の如く殺人的である。防寒着に身を包んだ人々が、白い息を吐きながら気ぜわしそうに歩いてゆく。
 カディツァークは、そんな人々の営みを見ながらメガネを外し、ラーメンのスープを一口のどに流し込んだ。冷え切った身体に温かいスープが染み渡る。
 「どうです?先生、景気の方は」
 ラーメン屋のオヤジが、カディツァークに声をかけた。
 前掛けがなければ大工の棟梁でもつとまりそうな、体格のいいオヤジである。
 カディツァークの傍らには、竹刀袋に包まれた例の魔刀が転がっている、オヤジはそれを見て、彼を剣道の師範か何かと勘違いしたのであろう。
 「……」
 カディツァークはちらりと目を上げ、オヤジの顔を見たが、すぐ視線を逸らした。
 どう見ても年下の自分を先生呼ばわりするなど、バカにしているのか、もしくは客に対して諂っているかのどちらかである。
 どっちにしてもそういう態度は、カディツァークの好むところではない。
 機嫌が良ければ適当に相づちでもうつところだが、ただでさえ嫌な思いをしてブルーな気分なのである。先ほどの臭いが、まだ鼻の奥にこびりついている。
 彼は無言で出されたラーメンを食べはじめた。
 「こっちも商売あがったりでさぁ。今度来た極東総督の野郎はゼディスを金倉か何かと勘違いしてやがって…」


 帝国による占領以来、極東派遣軍司令官がゼディスにおける帝国の最高権力者であったが、司令官はあくまでも武官であり、植民地の政治まで任せるのは宜しくない。
 そこで、帝国はゼディス統治の象徴として「極東総督」という官を新たに創設し、ゼディスに派遣した。
 「極東総督」はサテスワールの極東における領土(帝国領ゼディス州)での、内政、外政及び軍事に対する権力を握る。
 要するに、オヤジはその極東総督とやらが来て、税金を引き上げた事が不満なのである。
 ──ふ…ん。
 適当に聞き流していたカディツァークだったが、内心納得する思いだった。
 彼のように法の外にある人間には考えもつかない、生きた市民の声…帝国への不満…。
 カディツァーク・ノール
 彼は、ゼディス独立を旗印とする反帝組織、「ヴリトラ」の構成員であった。
 敗戦によりゼディスは帝国に支配されたが、現在、市民からなる反帝組織によって独立運動が精力的に行われている。
 いわば、ゼディス大統領府に帝国旗が翻った時から、新しい戦いが始まったと言えた。
 だが、強大な帝国の権力を前に、各党が散り散りで立ち向かってもたかが知れている。もっと大きな力が必要であった。
 そこで、十数派あったゼディスの反帝組織が、相互に協力しあって一つの勢力となったのが「ヴリトラ」である。
 現在、ヴリトラにはゼディス軍の残党も加わり、反帝組織というより急速に民兵化しつつあった。
 ──こういう一般市民が、もっとヴリトラに協力してくれれば、上層部のいう「大攻勢」も可能かも知れねぇ。
 カディツァークは、しゃべりまくるオヤジの顔を横目で見ながら、そんなことを考えた。
 
 
 ドズン!
 ふいに爆音が、屋台を覆うビニールのシートを震わせた。街を行く人々も、驚いて歩みを止めた。
 「……?」
 カディツァークも、思わずハシを持つ手を止め、爆音のした方を見た。
 暗い空に、爆発の跡らしい白煙が一条、風に揺られている。
 「ああ、アレですかい?ヴリトラの連中でさぁ」
 オヤジが言った。カディツァークにすれば、そんな事は百も承知である。
 ──爆弾?こんな町中で使いやがって…!
 カディツァークは舌打ちした。
 この近くには極東総督府(旧大統領府)があり、当然警備している帝国の官憲や兵士の数が多い。
 この近辺でテロを行うなど、蜂の巣に手を突っ込むようなのもので、常識的に考えれば自殺行為なのである。
 ──バカなヤツだ。
 同志であれば当然助けねばならないが、場所が場所である。袋の鼠になるのはご免であった。
 カディツァークは仏頂面で立ち上がり、財布を取り出して代金を支払うと、ゆっくりと人混みの方へ歩き出した。
 そして、「毎度ありーっ!」と親父の声が響いた瞬間…。
 どん!
 「んぐっ!」
 カディツァークは思わず声をあげた。竹刀袋が石畳の道路に転がる。
 彼の背中に、もの凄い勢いで誰かが激突したのだ。
 「キャッ!」
 カディツァークが、街路樹に手をついて身体を支えたのと同時に、尻餅をつく音がした。詰まった叫び声があがる。
 振り返ると、少女が一人、地面に手をついてしゃがんでいた。黒の革ジャンを着込み、同じくレザーのミニスカートをはいている。
 彼女もよほど面食らったらしく、額のあたりをさすっている。ネコに似た褐色の瞳が、カディツァークを見上げた。
 「あっ!ご、ごめんなさぁい!」
 「……!?」
 カディツァークは突然の事に、何を言ったらいいかわからず、立ち尽くした。
 そんな彼をよそに、少女はペコリと頭を下げると、まさに脱兎の如く、一目散にその場を走り去った。
 ──なんて足が速い!?レシピエントか?
 赤い炎の文様の入った革ジャンが、瞬く間に闇に遠ざかってゆく。
 レシピエントとなり、常人を越える力を身につけたカディツァークが驚くほど、その足は速かった。
 明るい茶色の髪の毛が、ふわふわと闇の中で踊る。
 ──ヤツが爆弾を仕掛けたのか?テロリストにしちゃぁ素人くさいが…。
 走ってゆく少女の後ろ姿を、カディツァークはボンヤリ眺めていたが、ふと思い直して落ちている竹刀袋を拾って肩にかけた。
 「待て!そこの貴様ッ!」
 その時、野太い男の声が響き、カディツァークの後ろにあった路地から三人の男がバタバタと足音を響かせながら現れた。
 三人とも、サテスワール駐留軍の軍人である。全員がゼディス市民から「青虫」と陰口をたたかれている、濃い緑の軍服を着ていた。
 軍人たちは、素速くカディツァークのまわりを取り囲んだ。
 ──しまった、ぬかった!
 カディツァークは舌打ちした。
 「小隊長殿!怪しい男を発見しました!」
 カディツァークのわきに立った軍曹が叫んだ。そして、路地の奥からごつい大男がゆっくりと姿を現す…。
 ──…プッ!
 カディツァークは、思わず手で口を押さえた。
 成る程その軍人の胸には、銀色に輝く少尉の階級章がぶら下がっていた。この男が小隊長なのであろう。
 しかし、カディツァークが吹き出した理由は、少尉の格好である。
 先ほどの爆風をモロに受けたのか、髪の毛はチリチリに焼けこげ、顔も軍服も煤だらけであった。
 ──…ま、まるでコントじゃねぇか。実験失敗ってか?
 カディツァークは、こみ上げてくる笑いを必死に押さえた。
 「…き、貴様ァ!何がおかしいィ!」
 笑いを堪えているカディツァークを見て、実験失敗がムキになって叫んだ。
 ──…い、いかんいかん。笑ってる場合じゃねェ。
 カディツァークは姿勢を直し、ばつが悪そうにゴホンとひとつせき込んだ。
 「この野郎…。よくも栄光あるサテスワール帝国の軍用車に手榴弾など投げ込んでくれたな?」
 「…知らねぇよ。人違いじゃねぇのか?」
 カディツァークはしらを切った。彼が爆弾を投げ込んだわけではないから、当然といえば当然だが。
 しかし、実験失敗は聞く耳を持たず、カディツァークの顔を指さした。
 「やかましい!とぼけようとしてもムダだぞ。だいたいその人相悪い目つきからして、どう見ても貴様が犯人だ!」
 ──…お前に顔のこと言われたかネェよ。
 にじり寄ってくる実験失敗を見、カディツァークは心の中でつぶやいた。もっともな話である。
 「と言うわけで、貴様を憲兵隊本部まで連行する!おとなしく来てもらおうか!」
 「……」
 カディツァークは押し黙った。
 この帝国軍人たちの魂胆など、とっくにお見通しである。用は、テロリストの一人も捕まえられないという無能さを隠したいのだ。
 犯人など、作ろうと思えばいくらでも作れる。あらぬ疑いをかけられ、政治犯収容所に送られた市民を、カディツァークは何人も知っていた。
 となれば、いくら議論しても時間の無駄である。うかうかしていると敵はどんどん数を増す。
 カディツァークは竹刀袋をほどき、鯉口を切った。鍔が鳴り、わずかに覗いた白刃が街頭に照らされて光る。
 ふと通りかかった中年の女が、真っ青になって叫び声をあげ、路地に逃げ込んだ。
 「オォ!?」
 実験失敗が、必要以上に驚いて一歩後ろに退いた。同時に兵たちが一斉に銃を抜き、カディツァークに向けた。
 「き…貴様、抜いたな!?抜きやがったな!?」
 「……」
 「面白れぇ。いいか、お前ら手を出すなよ!」
 そういって部下を抑えると、実験失敗は足を肩幅に開いて踏ん張った。こめかみに血管が浮かぶ!
 ボッ!という音と共に、右手に鬼火が召喚された。休息無き鬼火、「ウィル・オー・ウィスプ」である。
 「驚いたか!これこそ俺が修行の末に修得したドナーの力よ!」
 「……」
 カディツァークは、鯉口を切った刀を小脇に抱えたまま、静かに腰を沈めた。
 「ハッハッハ!驚いて声も出ねえか!そのまま五体ぶちまけてくたばりやが…」
 実験失敗は、ウィスプを投げつけようと、腕を振り上げた。
 だが、既にその瞬間、カディツァークは彼の面前にいない。
 鬼火が放たれるより迅く、至近距離まで踏み込んだカディツァークの白刃が一閃し、刀の峰が実験失敗の鼻をへし折っていた。


 続く