ゼロ・クリア ─還無─ 第1章[5]
作:のりゆき





5.


 ゼディス半島南部にあるバンダルアバス市は、天然の良港を備えた繁華な港町である。
 一日に数え切れないほどの船舶が往来し、その活気はゼディス市すら上回っていた。いずれにしても、極東随一の港町である。
 空は灰色によどみ、風は冷たかったが雪が降るほどではない。向こうの船着き場では、着岸したランチから、荷の積み下ろしが行われている。
 カディツァークは、ムスッとした表情のまま、ヴリトラ上層部が用意した中古トレーラーの運転席から外を眺めていた。
 トレーラーは、怪しまれないように運送会社のものに偽装してある。カディツァークも助手席に座るナナス・テーヴァも、それらしい制服に身を包んでいた。
「…ねえ、少しは話しかけたりしたらどうなの?」
 沈黙にたまりかねて、ナナスが今日はじめてカディツァークに話しかけた。
 だが、相変わらずカディツァークは不機嫌な顔のままである。図らずも、二人同じような顔になっていた。
 もともと、初対面(に近い)人と陽気に話せるタイプの男ではない。それに昨日の事もあるから、彼は今日、始終ムッツリのし通しだった。
「ちょっと!聞いてるの?カディ"ら"ーク!」
 ブチッ!
 その時、ただでさえイライラしているカディラ…いや、カディツァークの頭の中で、何か大事な神経の切れる音がした。
「だれがカディラークだ!このヤロー!」
 カディツァークは真っ赤な顔をして、ハンドルを叩いた。「ピッ!」とクラクションが響き、通行人を驚かせた。
「え?」
 ナナスは、まだ自分の誤りに気づいていない。
「人をファミレスみたいに言うな!俺はカディツァークだ。カ・デ・ィ・ツァー・ク!」
「あ、そうだったっけ?ごめんなさーい。ホホホ…。てゆーか、そろそろ機嫌直してくんない?昨日のことは、あたしも悪気があった訳じゃないんだからさぁ」
 ナナスは笑ってごまかしたが、カディツァークの機嫌は更に悪くなった。
「それにしても、カディツァーク…?カディ…」
「……」ナナスが何かぶつぶつ言っているが、カディツァークは、無視した。
 何だコイツ?という思いが、彼の頭の中にある。
「よし、決めた!」と、ナナスは手を叩いた。
「……?」
 嫌な予感がする。
「あんたの名前、長くて呼びづらいから『カディ!』これからあんたのあだ名はカディね!」
「ガビーン!(カディツァークだからカディ?セ、センスねぇーッ!)」
 カディツァークは、絶句した。もはやぐうの音も出ない。
「…勝手にしろ」
 あきれてつぶやいた時、二人と同じ制服を着込んだ男が後部座席に乗り込んできた。左の額に、眉にかかる傷がある。
「待たせたな」
 シェイエン陸軍騎兵大尉、「ジョセフ・ルーヴィエ」である。
 シェイエン陸軍の軍籍に身を置いているが、実は先のゼディス共和国元首、ルーヴィエ大統領の息子であり、ゼディス戦役から現在に至るまで、シェイエンに留学して騎兵の運用を学んでいた。
 留学二年目にゼディス戦役が勃発した。彼は何度も従軍させるよう父親に訴えたが、既にゼディスの敗戦を予感していた前大統領はそれを許なかった。
 前大統領は彼をそのままシェイエン軍に預け、シェイエン側も彼を同国人として遇した。彼はシェイエン軍大尉として戦後を生きる事となったのである。
 もちろん、シェイエンはそれによってサテスワールからあらゆる抗議や嫌がらせを受けたが、ある時はとぼけ、ある時は突っぱねて彼を帝国に渡さなかった。同じ極東に生きる民族の情義というものであろう。
 今回、シェイエン軍がゼディス反帝派に協力するにあたり、先遣隊の隊長としてジョセフを送り込んだのは、まさに適材適所と言うべきであった。
「全員乗り込みが完了した。ほとんどすし詰め状態だが、冷蔵車じゃないのがせめてもの救いだな」
 そういうと、ジョセフ大尉は端正な顔を崩した。訳が分からないが、彼流のジョークらしい。
「…ふん、のんきなもんだな」
「ん?」と、ジョセフがカディツァークを見た。
「ちょっと、カディ!」
「大攻勢なんて言うから期待してれば、来たのが一個中隊だと?そんな小人数で極東軍を覆せるわけが無いだろうが!」
 …カディツァークの鬱積が爆発した形になった。
 彼とナナスがバンダルアバスについた時点で、既にシェイエンの先遣部隊は到着していたが、その数はジョセフが指揮する一個中隊160人のみであった。今、トレーラーの荷台ですし詰めになっている連中である。
 この程度の兵力で帝国極東軍を滅ぼそうなど、帝国の強大さを身にしみて解っているカディツァークにとっては、馬鹿にしているとしか思えなかった。
「…カディツァーク・ノール」
 ジョセフは運転席の背もたれに肘をつき、カディツァークの顔を見た。
「ヴリトラ最強の刺客、暴風電雷の破壊神『大自在天』をドナーとする…か。テーヴァ牧師はずいぶんと貴様を誉めていたが、やはり単なる暗殺者のようだな」
「何だと?」
 カディツァークが、ジョセフ大尉を睨んだ。
「シェイエンの将軍達が、何も考えずに我々を送り出したとでも思っているのかね…。まあいい、説明は同志諸賢が集まったところで行う。車を出して貰おうか」
 そういって、ジョセフは顎をしゃくった。
「……」
 カディツァークは、いらついた表情のままキーを回し、エンジンをかけた。


「しかし、この国も変わったものだ」
 窓の外を流れるバンダルアバスの景色を眺めながら、ジョセフはそうつぶやいた。半壊した建物や廃墟が目立つ。
「このあたりも、だいぶ空襲でやられましたから…」
「『帝国の鷲』か?」
「ええ、帝国の鷲、リーズ・ジェミス…」
 サテスワールとの戦争以前、ゼディスは極東最大の海軍国であった。その拠点のひとつがバンダルアバス要塞である。
 帝国は、開戦初期からこの要塞に盛んに爆撃機を飛ばしていたが、要塞の強固な砲列と迎撃機の抵抗により、中の軍艦にはかすり傷一つ負わせることが出来なかった。
 そこで、帝国軍はリーズ・ジェミス中佐(当時)を隊長とし、バンダルアバス要塞を屠る為の強襲航空隊を編成した。強襲隊といえば聞こえは良いが、いわば特攻に近い任務である。
 しかし、ジェミスの率いる航空隊はゼディス要塞に果敢に攻め込み、その半数を失いながらも砲台と戦艦に大きなダメージを与えた。
 ゼディス戦役の天王山であったバンダルアバス要塞包囲戦において、ジェミスの功績は大きい。彼がゼディス戦役の英雄と呼ばれるのも、その為であった。


「鷲の野郎が極東軍司令官になって、ヴリトラの反応はどうだ?」
「みんないきり立ってます。バンダルアバスでの恨みを晴らすとか…キャッ!」
 そこまで言ったナナスの上半身が、大きく前に傾いだ。カディツァークが、急に車のブレーキを踏んだのである。
「……」
「ちょっと!何すんのよあんた!」
 カディツァークを見たが、彼はハンドルを握ったまま正面を向いたままである。
「検問だ。聞いてねぇぞ、クソ!」
「え?」
 見ると、フェンスが築かれ数台の車が足止めされている。
 帝国兵が二人、順番に車の中をのぞき込み、トランクの中などを調べている。機関砲を備えた帝国の装甲車の姿も見えた。
「この道路は、今日検問のルートに入ってないはずなのに…。どうしよう」
「当てにならねー!何やってんだ、ウチの情報部は?」
「ちょっと、あたしに言われたってしょうがないじゃない!」
「お前に言ってる訳じゃねぇよ。何だ、被害妄想か?」
 カディツァークが、鼻で笑った。
「く〜〜!(ムカツク!この男!)」
「…やかましいな、お前ら」
 ジョセフ大尉が、あきれた顔をして言った。
「とにかく、ここは知らぬ顔をして行くしかあるまい。こっちは百人以上いるとはいえ、あの機関砲でやられたら一溜まりもない」
「そうだな」
 カディツァークは、そろりとトレーラーを前に進ませた。
 マシンガンをぶら下げた帝国兵が、こちらをジッと睨んでいる。
「何かあったんスかぁ?」
 車の窓を開け、カディツァークがのんきな声を出した。どこから見ても運送屋の兄ちゃんという感じである。器用な男だ。
「…某国から工作員が入り込んでいるという情報が入っている。調べさせてもらうぞ」
 と言うと、二人の帝国兵はトレーラーを調べはじめた。
「ずいぶん大きいトレーラーだな。積み荷は何だ?」
「ゼディスシティのスーパーに収めるツナ缶ッス。送れると上司に怒られちまうんで、早く行きたいんですけどね」
「余計なことはいい。聞かれたことだけ答え…」
 帝国兵が、後部座席で寝たふりをしているジョセフ大尉に目を留めた。向かい側にいる同僚に目で合図する。
「確認する事がある。そのまま待て、車を動かすなよ!」
 そう言うと、二人の帝国兵は小走りに装甲車へ戻った。恐らく、コンピュータで前大統領の息子…ジョセフ・ルーヴィエの顔写真を確認するつもりなのであろう。
「完全に気づかれたな」ジョセフ大尉は、言いながら身を起こした。
「そうみたいですね。マズイなぁ…」
「こうなれば、もうやるしかないだろう。許可を出してくれよ、大尉殿」
 カディツァークは、運転席の下から筒状に丸めた毛布を引き出した。中には、彼の刀が隠されている。
「…仕方あるまい。だが、一瞬でやる事。通報されたら厄介だ」
「了解。おい、行くぞ!」
「あんたに言われなくても解ってるわよ!」
 カディツァークとナナスは、そろりとトレーラーから降り、近くの木陰に隠れた。
 装甲車の方を見たが、軍本部と連絡を取っている最中なのだろう。銃座にも運転席にも人の姿はない。
 前大統領の息子という大物の登場に、帝国兵もよほど興奮しているらしい。監視が、甘い。
「おい」カディツァークが、ナナスの背を剣の柄で小突いた。
「何よ!」
「手榴弾」
 カディツァークは、それだけ言うと装甲車を指さした。
「……」
 ナナスは無言でウェストポーチの中から手榴弾を取りだした。
 命令されているようで、内心面白くは無かったが、確かに敵を外に誘い出すにはこれが最も手っ取り早い。
 慣れた手際でピンを抜くと、勢いをつけて投げた。同時に、敵の装甲車に向かい、駆けた。
 ボーン!
 直後、派手な音を立て手榴弾が炸裂した。爆発でタイヤの一つが弾け、装甲車が大きく右に傾いだ。同時に、帝国兵が転がるようにして装甲車から飛び出した。
 飛び出た二人の前に、ナナスの小柄な体があった。
「はーい♪」とウィンクして見せる。
「貴様!」
 驚いた帝国兵は、とっさに銃口をナナスに向けた。が、次の瞬間、ナナスの足がしなやかに上がり、マシンガンを蹴り飛ばした。
「ぐわっ!」
 マシンガンを飛ばされた帝国兵が叫んだ。気を取られていた所に、ナナスの掌底がみぞおちに入ったのである。ばたりと倒れた。
「くそっ、この女!」
 同僚を倒されたもう一人の帝国兵が銃を構えた。頭に血が上った男は、背後に既に敵がまわっている事に気づいていない。
「ハアッ!」
 カディツァークが装甲車の屋根から飛び降り、帝国兵に躍りかかった。一閃!
 ザンッ!
 ピシッ、と一筋の血がナナスの頬に飛んだ。
 肩口から背中にかけ深々と割られた帝国兵は、既に骸となっている。ナナスの目の前で、死体はゆっくりと地面に倒れ伏した。
 その向こうに、カディツァークが立っていた。懐紙で血の付いた剣を拭っている。
「何だ、腰でも抜けたか?」
 カディツァークは常の表情のまま、ナナスを見た。彼女は、いつの間にかヘタヘタと地面に座り込んでいたのである。
「な、何も殺さなくてもいいじゃない!」
 ナナスはカディツァークを睨んでいた。立ち上がりながら、尻を叩いてほこりを落とす。
「…何だと?馬鹿が!そんな甘い事言ってる場合かよ」
 カディツァークは剣を拭いながら、そう吐き捨てた。
「帝国兵だって人間なのよ!そんなにカンタンに…」
 と、その時、誰かがナナスの肩に触れた。
 ジョセフ大尉である。いつ手に入れたのか、護身用の小型拳銃を握っていた。
「良くやってくれた」
 倒れている二人の兵を見ながら、言った。
「ナナス君、言いたい事は解るが、カディツァークが殺らなければ、君がどうなっていたか解らん。今は一兵といえど失うわけにはいかんのだ。それを理解して欲しい」
「……」
 ナナスは、無言のままトレーラーへと戻っていった。
 カディツァークは、まだ剣を拭っている。
 ジョセフは、カディツァークの青い剣に目を留めた。幅がずいぶん広く、三本杉の刀紋が狼の歯のように光っている。恐ろしいほどに鋭い刃であった。
「セキノマゴロクか」
 カディツァークは無言でうなずいた。
 セキノマゴロクはゼディス鍛冶の銘刀である。ブルーメタルを鋼に混ぜる工法と、独特の刀紋で知られる。その刃は人骨すら唐竹のように断ったと伝えられ、あまりの斬れ味から「妖刀」とも呼ばれた。
 ――しかし、修羅のような男だ。
 大尉は、カディツァークを見た。
 この刺客はどういう技を使ったのか、あれだけの力業を見せておきながら、一滴の返り血も浴びていないのである。
 この男、マゴロク一刀でどれほどの血の雨を振らせる事ができるか…。それを考えると、味方とはいえ背中が何やら薄ら寒くなる。
「…思ったよりは出来るようだな、貴様」
 幾分か青ざめた顔をさすりながら、ジョセフが言った。
「先を急ごう。生きている奴は、刀の下げ緒ででもふんじばっておく事だ。無駄な殺生をする必要はない」
「ふん」
 カディツァークは、刀を鞘に収めた。