僕は彼女に、本を手渡した。
本当に古い本だ。何人もの人が手に取っただろう。表紙はよれよれで、紙も黄ばんでいる。
「ありがとう」
彼女はそう言って、指先で表紙をそっと撫でる。彼女の表情から、笑みがこぼれる。
喜んでもらえて、何よりだよ。……それにしても、随分と沢山になったね。置き場所、困らない?
「そうね……でも、どれも大事な本だから」
彼女はそう言いながら、床に積まれた本の間を車椅子で器用に通り抜けていく。壁の本棚にも、背表紙の色褪せた本がずらり。
――どれもこれも、二十世紀の骨董品だ。決して安いものではないけれど、彼女の喜ぶ顔が見たくて、僕はしょっちゅう買い込んでくる。
本に出会う前は、彼女はいつも塞ぎ込んだような表情をしていた。本に囲まれている今の彼女は、いつも笑顔を絶やさない。文字の娯楽作品はネットにいくらでも転がっているが、彼女には本物の紙の本が必要だった。
「……でも私、あなたがちょっと羨ましいな」
……どうして?
「だって、あなたは、この本たちをじかに読めるから」
……盲目の彼女は、そう言って力なく笑った。けれど、彼女が求めているのは目に見える文字なんかじゃない。
僕は彼女の肩に手を触れる。その彼女が僕の手を握って……その思考が、僕の心に流れ込んでくる。
それは、彼女のもう一方の手の中の、本の声。
その本を読んで……ハラハラしながらページをめくり、紡ぎ出された言葉に心を躍らせた……この本を読んだ人々の感動。
その感動が、この古びた本には詰まっている。
部屋いっぱいの本の、その感動が、彼女を包み込んでいる。……それを受けとめる不思議な力が、彼女にはあるのだ。
だから、彼女はもう寂しい表情は見せない。
だから……僕はまた、旧世紀の忘れ形見を探しにいくのだろう。
声にならない声で、僕は彼女に告げる。
君が幸せで、良かった、と。
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