「雨の匂い……」
エルマの声が聞こえた。
「え?」
僕は、書きかけの便箋から顔を上げた。
いつの間にか、部屋は鉛色の暗がりに浸されていた。開け放してある窓の向こうで、空が重くよどんでいた。
ペンを転がし、ため息をつく。
水のはねる音がした。浴室から、ゆったりと足音が近付いてきた。
僕はテーブルに手を伸ばし、置いてあった本を、便箋の上へとずらした。
「雨、きらいなの?」
エルマの顔がのぞいた。彼女は、耳もいい。
「日曜だしね」
僕は、またため息をついた……今度のは、少しわざとらしく。
遠くで、雷鳴が轟いた。
彼女は、ついと僕の側をゆきすぎ、窓辺に向かった。バルコニーから身を乗り出さんばかりにして、空を眺め始めた。
美しいけど、やっぱりちょっと危なっかしい。
便箋を本に挟むと、僕は立ち上がった。
「そろそろ、お昼にしようか?」
はたして、午後はどしゃ降りになった。エルマは出かけてしまった。
僕は、手紙の続きに取りかかっていた。うまい台詞が、どうしても浮かんでこない。
椅子にそっくり返って、しばらく天井を眺めた。
光がはじけた。少し遅れて、雷鳴。近くなったみたいだ。
思わず、窓の方へ首をねじった。……彼女は、どこまで行ったろう?
するりとバルコニーの手すりを越えて、滑りこんでくる影が見えた。
僕は身を起こし、窓の掛け金を外しに行った。
「ありがと」
エルマが帰ってきた。
青い鱗が、きらめいた。静かに部屋を横切っていく、一匹の大きな蛇。僕だけに見せる、本当の姿。
「また、河で泳いだのかい?」
吹き込む雨に顔をしかめながら、窓を閉めた。
「服は?」
「ごめん」くすくすと笑う声が、廊下へ消えた。
僕は三度目のため息を、胸の奥で殺した。
出すつもりのないラブレターが、テーブルに載っている。
本当は、隠さなくたっていい。エルマには読めないのだから。
もし……それが何なのかを知ったら、あの瞳は、どんな色に光るのだろう。
僕は、見てみたいとさえ思う……
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