夏海 作:シオン



 今日も、母さんは私に向かって独り言を言う。



「夏海、父さんがね。胃が痛いって言うのよ。」

 こっちの胃が痛くなるような話題ばっかりだよ、ホント。
 母さんはいつだって「父さんがね」と言う。自分のことは全然言わないのに。母さん、そんなに父さんが、大切?


「夏海、父さんがね。今日病院に検査に行くのよ。」

 ああそうですか、としか言えない私は親不孝だろうか。
 そんなに心配なら、父さんに付き添えば良かったのに。今にも泣き出しそうな顔してるって、自分でわかってる?母さん。


「夏海、父さんがね。入院、するんだって。」

 やっぱり胃が悪かったんだ。入院するほど酷いんだ。
 母さん、ついに泣いちゃった。私の前で泣かないでよ。私が悪いみたい。母さん、私には慰めることもできないよ。


「夏海、父さんがね。すごく苦しがってるのよ。」

 こっちだって心苦しいんだよ、母さん。
 毎日毎日病院に行ったって、父さんが苦しがってる姿しか見れないんでしょ? ガラス越しにしか、会えないんでしょ? そんなの、苦しむ為に行くようなものだよ、母さん。


「夏海、父さんがね……。もうすぐ、死ぬんだって。」

 こっちの心肺が停止するような発言しないで下さい、頼むから。
 もう表情がない、っていうか生気がないよ母さん。最近、ご飯食べた? ちゃんと眠ってる? そんなんじゃ母さんが『死んじゃう』よ。



 夏海、夏海って、母さんは決まり文句みたいに言うけど。母さんは、私に話しかけているんじゃない。私、ずっと前から知ってた。あれは母さんの独り言。心の中で行き場を失ってしまった、寂しい言葉たち。

 夏海、夏海って言っていれば、救われるとでも思っているのですか? ―母さん。
 私の名前は、魔法の呪文でもなんでもないんです。ねえ、母さん。私の名前じゃなく、私を呼んでください。


 母さんの言葉は、私には届かないんだよ。
 私の涙が、母さんには見えないように。



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