蝉の声が、僕に夏を悟らせる。
──やあ、また夏が来たね。
そう声をかけると、ええそうね、と囁くような返答があった。毎年変わらぬやり取りに、一層夏の気配が濃くなる。
夏は君を思い出すよ。
汗を拭いながら言うと、私もよと笑いを含んだ声が返ってきた。
いつでも目を閉じれば、鱗粉を纏ったような君の姿が浮かぶ。
夜空を見るような黒い瞳は、星を散らしたようにきらきらとして、側にいるだけで浄化されるような空気を持っていた。淡い縹色の着物が、白い陽射しに眩しいほど、映えて。
多分僕は、君を見た瞬間から、君に恋したと思う。
初めて手を握った時の体温。
擽ったそうな笑顔。
柔らかな髪がさらりと君の輪郭を縁取る。
控えめな照れ隠しが可愛くて。
──今はもう、僕の記憶にしかないけれど。
君は全てが奇麗だったから、汚されるのが嫌だった。周りに張り巡らされた、無作為な刺にも傷ついて欲しくなかった。
他の人なら冗談だと笑うものも、君は真面目に受け取るし、簡単に泣くし、笑う。
此処では潰されてしまいそうな程無垢な君に、
少しの衝撃ですぐに壊れてしまいそうな君に、
多分、僕はずっと恋している。
余りにもあやうげな君を救いたくて、僕は君の手を引いて歩いた。
蝉って強いね。君は羨ましそうに言っていた。
たった七日の命なのに、目眩がするほどの輝きに溢れている。
そう語る、君の横顔を覚えている。まだ見ぬ未知に心を躍らせて。
だから僕は、君の願いを叶えた。
蝉の声が幾重もの音の波になって、僕に夏を悟らせる。
今年もまた、空は濃く、明るい原色の青で僕を迎える。熱を孕んだ風は、優しく僕の頬を愛撫するように。陽炎に君の面影を見つけ、夕立は甘さを含んで僕を満たす。天鵞絨の空には銀砂が撒かれて、君への贈り物にする。
古い殻を脱いで、姿は見えなくなってしまったけど、君が溶けた世界はこんなにも美しい。
──やあ、また夏が来たね。
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