夢枕 作:tsukikasa



「今さら何の未練があって出てきたわけ?」
 冷たく言い放つ。目の前にいるのは……知ってる男だ。2週間前に事故で死んだ。
「君が悲しんでくれないのが悲しくてね」
「勝手な事言わないでよ!」
 私はイラつきながら、取り出した煙草にライターで火をつけようとする。
 口元を左手で覆うようにして幾度かライターを弾くが、何度試しても妙に軽い音がカチカチと鳴るだけで火のつく気配は無かった。
 不意に、茫洋とだだっ広い空間に一つだけポツンと置かれた椅子の上に腰掛けている自分に気付き、こんな所に来てまで煙草を吸おうと悪戦苦闘している自分が滑稽に思え、努力を放棄する。
 そして、煙草もライターも投げ捨ててしまおうと一瞬腕を振り上げかけたが、すぐに思い直してポケットにしまった。
「捨ててしまえばいい。どうせ消えてしまうんだから」
 彼の言葉に少し憮然として。
「こんな所でゴミを投げたって誰も拾わないでしょ。同じ跡形もなく醒めるんだったらポケットの中の方がいい……」
「相変わらず変わってる」
「あんたに言われたくない!」
「……火はついたよ。君が気付かなかっただけで」
 彼はそう言って唐突に私の手元を指し示した。
「や、何これ!?」
 見ると左掌の皮膚が赤く焼け爛れ、大きな火傷の跡を晒していた。途端に痛みと疼きが苛む。
「……私に恨みがあるの?」
 私が尋ねると、彼は一瞬思いもしなかった事を言われたように驚いた表情を見せ、すぐに少し侮蔑を含んだ顔つきになり鼻で溜息をつくような仕草をした。
 彼にとってそれが特別な意識のさせるものではない事を知ってはいたが、まるで、女はどうしようもない生き物だ、と言っているように見えるその仕草が私は嫌いだった。
「その仕草ずっと気になってた」
「ずっと言わなかったんだ」
「……お互い様でしょ」
 ……どうせ夢だ。夢だから言うべきか。夢だから諦めるべきか。

 長いような短いような逡巡の内に、私は目を覚ます。
 日は既に高い。私は眠れない。



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